大阪府 大阪巡り 〜大阪城と豊國神社〜

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大阪府大阪にある「大坂城」と大坂城二の丸南側にある「豊國神社」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。

目次

大坂城とは?

大坂城は、日本で有数の巨大城郭になります。大坂城(豊臣大坂城)は、安土桃山時代(1583年から1598年)にかけて豊臣秀吉が築いたが、「大坂夏の陣」で廃墟同然となりました。1620年に徳川秀忠の命により、天下普請によって10年かけ再築されました。豊臣時代の大坂城の跡に高さ数メートルの盛り土をして再建されたため、現在も地下深くに豊臣時代の石垣が埋まっていると言われています。なお、現在の天守は、1931年に復興されたものですが、櫓や門などは江戸時代のものが残っていると言われています。

大坂城へのアクセス

大坂城への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。

  • JR大阪環状線「大阪城公園駅」出口〜大阪城 青屋門 徒歩10分
  • Osaka Metro長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク駅」出口2〜大阪城 青屋門 徒歩6分
  • Osaka Metro谷町線・中央線「谷町4丁目駅」出口9〜大阪城 大手門 徒歩7分
  • Osaka Metro谷町線・京阪本線・中之島線「天満橋駅出口3〜大阪城 大手門 徒歩9分
  • JR東西線「大阪城北詰駅」出口1〜大阪城 青屋門 徒歩10分
  • JR大阪環状線・Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」出口1~大阪城 桜門 徒歩13分

☆動画☆ 大坂城周辺散策 

大坂城の様子

ここで、大坂城の様子の一部を写真で紹介していきます。

南外堀

大阪城二の丸の南に位置する堀で、西が大手口、東が玉造口があります。石垣の総延長は約2キロメートル、堀の最大幅は約75メートルあり、1628年、徳川幕府による大坂城再築第3期工事により、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造されました。

大手門

城の正面を大手(追手【おって】)といい、その入口を大手口(追手口)、設けられた門を大手門(追手門)とよびます。現存する大阪城の大手門は、1628年、徳川幕府による大坂城再築工事により創建されました。開口部の幅は約5.5メートル、高さは約7.1メートルになります。なお、門の左右に接続する大手門北方塀・大手門南方塀も重要文化財に指定されています。

西の丸庭園

西の丸庭園は、天守閣の西にあり広さ約6.5haで、約半分が芝生におおわれ、桜の名所としても有名です。ソメイヨシノを中心に約300本の桜が植えられ、毎年春には、お花見を楽しむ人々でにぎわっています。

桜門

桜門は、本丸の正面にあります。徳川幕府による大坂城再築工事が行われていた1626年に創建されたが、1868年に起きた明治維新の大火によって焼失し、1887年に陸軍が再建し現在に至ります。左右の塀も桜門再建にあわせて新築されたが、戦後に台風の被害を受けて倒壊し、1969年に復元されています。桜門の名所は、豊臣秀吉が築いた大坂城以来のもので、当時二の丸に桜の馬場とよばれる場所があったことから、門付近に植えられた桜並木にちなんで命名されたと言われています。

ミライザ大阪城

ミライザ大阪城は、1931年に陸軍第四師団司令部庁舎として、大阪城天守閣と同時期に建てられ、その後、大阪市立博物館として親しまれてきました。現在では、ショップやカフェ、レストランとして生まれ変わり、天守閣が目の前のロケーションの中で、ゆったりと食事や買い物をお楽しめる施設になってます。

大阪城天守閣

現在ある大坂城の天守(大阪城天守閣)は、1931年に竣工した復興天守になります。陸軍用地であった旧本丸一帯の公園化計画に伴い、1928年に、当時の關一大阪市長によって再建が提唱され、市民の寄付金により1931年に竣工しました。なお、このとき市民から7万8250余件の寄付の申し込みがあり、約半年で目標額の150万円(現在の貨幣価値に換算すると600億から700億円に相当)が集まったと言われています。

大坂城の天守閣の中にも入場料を支払うことで展示場の見学、展望台で街並みを見ることができます。大坂城、豊臣秀吉に関する展示がされています。ここでは、その様子の一部を写真で紹介していきます。

友好城郭の紹介で「上田城」が紹介されています。本サイトの運営者も、上田城に訪れました。上田城について記載がある以下リンク先のサイトも参照して見てください。

石山本願寺と大阪(大坂)

1496年、本願寺第8代宗主蓮如は摂津国東成郡生玉庄内の大坂に坊舎を築きました。「大坂」という地名が歴史上初めてあらわれるのは、1498年11月21付の蓮如の『御文(御文章)』とされています。

この坊舎を中心にして周囲に土居と堀を巡らせた「六町の構」といわれた寺内町が形成されました。1532年に山科本願寺が炎上すると、本願寺はこの地に移され、本願寺教団の中心となりました。大坂(石山)本願寺の寺内町では、御影堂・阿弥陀堂を中心に、六町二千軒におよぶ町家が建ち並び、たくさんの職人や商人が生活しており、当時の堺と並び、豊かな都市生活がくりひろげられていました。やがて、本願寺は織田信長と対立し、1570年から11年間に及ぶいわゆる石山合戦の後、大坂を退去し、鷺森、貝塚、天満を経て、1591年に京都へ移転しました。

一方、秀吉は大坂(石山)本願寺と寺内町の跡に大坂城を建設しました。この大坂城は大坂夏の陣で炎上したが、江戸幕府によって再建されます。なお、大坂(石山)本願寺の遺構はいまだ確認されていません。しかし、この大阪城公園の辺りがその遺跡と推定され、現在の商業都市大阪の礎となったといわれています。

市正曲輪

豊臣秀頼の後見人として重要な位置にいた片桐東市正且元の屋敷があったことから、市正曲輪という名がつきました。なお、現在では、梅林になっています。

日本庭園

大坂城本丸に、池泉回遊式の日本庭園があります。明治時代に和歌山城二の丸から移築された「紀州御殿」の庭園として昭和初期の天守閣復興の際に併せて作庭されたものになります。

豊國神社とは?

豊國神社は、大坂城二の丸南側にあり、桜門のすぐそばにあります。1879年11月、京都市の豊国神社の別社として創建されました。創建当初は、大阪市中之島に鎮座していましたが、何度か移転を繰り返し、1961年に現在の場所に移りました。なお、主祭神は豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長になります。

豊國神社の様子

ここで、豊國神社の様子の一部を写真で紹介していきます。

豊國神社の御朱印

豊國神社では、御朱印を頂くことができます。(初穂料は、300円になります。)


大坂城

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