東京都の本駒込の近くにある「白山神社」「夏目漱石旧居跡(猫の家)」「八百屋お七墓(円乗寺)」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。
白山神社とは?
「白山神社」の創開は古く、947年~957年に、加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられています。後に、1615年~1624年に、2代将軍徳川秀忠の命で、巣鴨原に移ったが、その後、五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、1655年にて、現在地に再度移りました。
現在では、白山神社は、東京十社のうちの一社になります。また、白山神社の御祭神は、菊理姫命・伊弉諾命・伊弉冊命として、祀っています。
白山神社のアクセス
白山神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 東京メトロ南北線 本駒込駅 徒歩約5分
- 都営地下鉄三田線 白山駅 徒歩約3分
白山神社の様子
ここで、白山神社の様子の一部を写真で紹介していきます。
社号碑・鳥居
石段・注連柱
社務所
手水舎
孫文の記念碑
1910年、白山神社の近くに住む宮崎滔天宅に寄遇していた孫文は、滔天と共に白山神社境内の石に腰掛け、中国の将来と革命について語り合ったと伝えられています。
拝殿
合祀社
「富士浅間社」・「稲荷社」・「三峯社」・「玉津島社」・「天満天神社」・「山王社」・「住吉社」の合祀殿になります。
八幡神社
1051年、奥州征伐へ向かう源頼義・源義家(八幡太郎)父子が、当地の桜の木に源氏の白旗を立てて八幡神に祈祷したところ、待ち伏せていた敵を打ち破る事ができたと言われています。そのため、源氏ゆかりの八幡神社として古くから崇敬を集めました。
白山神社の御朱印
白山神社では、御朱印を頂くことができます。
夏目漱石旧居跡(猫の家)とは?
夏目漱石の旧居跡には、夏目漱石がイギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだと言われています。この間で、東京大学英文科・第一高等学校の講師として働きながら、処女作「我輩は猫である」を執筆し、この旧居は作品の舞台となりました。また、「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」等を発表したところでもあります。なお、家屋は愛知県犬山市にある「明治村」に移築され公開されています。現在では、案内板があります。
夏目漱石とは?
夏目漱石は超有名な小説家になります。生まれは、東京で、高師・中学教師を経てイギリス留学後、東大講師として英文学を教えました。高浜虚子の勧めで写生文を手がけ、「吾輩は猫である」を始め、多彩な創作活動を展開しました。代表作に「三四郎」「それから」「門」「こゝろ」、「明暗」など多数の著があります。また、俳句は約三千句をなし、晩年気品のある文人画を描きました。日本の巨匠として世界に広く紹介されています。
夏目漱石旧居跡(猫の家)へのアクセス
夏目漱石旧居跡へのアクセスについては、以下の通りになります。
- 東東京メトロ南北線 本駒込駅 徒歩約8分
- 東京メトロ千代田線 千駄木駅 徒歩約10分
夏目漱石旧居跡の様子
ここで、夏目漱石旧居跡の様子の一部を写真で紹介していきます。
八百屋お七墓(円乗寺)とは?
江戸観音11番札所として、知られている「天台宗円乗寺」に、井原西鶴の名作「好色五人女」などで有名なお七(1668年~1683年)の墓になります。
八百屋お七とは?
お七の生家は、駒込片町の有数な八百屋でありました。1682年12月の天和の大火で家が焼け、菩提寺の円乗寺に避難したが、避難中に円乗寺の小姓山田佐兵衛と恋仲になりました。やがて家は再建され戻りましたが、佐兵衛会いたさに付け火をしたと言われています。そのため、お七は放火の大罪で捕らえられ、1683年3月火あぶりの刑にされました。
八百屋お七墓(円乗寺)へのアクセス
八百屋お七墓(円乗寺)へのアクセスについては、以下の通りになります。
- 東東京メトロ南北線 本駒込駅 徒歩約5分
- 都営地下鉄三田線 白山駅 徒歩約1分
八百屋お七墓(円乗寺)の様子
ここで、八百屋お七墓(円乗寺)の様子の一部を写真で紹介していきます。
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