東京都の千代田区にある「東京大神宮」と「靖國神社(靖国神社)」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。
東京大神宮とは?
「東京大神宮」とは、東京における伊勢神宮の遥拝殿として創建され、天照皇大神や豊受大神が祀られている神社になります。また、1900年に、日本で初めて神前結婚式が行われたことから、縁結びの神社として知られるようになりました。現在では、良縁や恋愛成就を願うたくさんの女性が参拝に訪れています。
江戸時代、「伊勢神宮」への参拝は、人々の生涯かけての願いでした。明治の新国家が誕生すると、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に、最初は日比谷に建設されました。そのため、「日比谷大神宮」と称されていました。関東大震災後の昭和3年に現在地に移り、「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改め、今日に至っております。
本サイトでは、伊勢神宮についても紹介しています。是非、下記リンク先のサイトも参照して見て下さい!!!
東京大神宮のアクセス
東京大神宮への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- JR中央・総武線 飯田橋駅より徒歩約5分
- 東京メトロ有楽町線・南北線・東西線 飯田橋駅より徒歩約5分
- 都営地下鉄大江戸線 飯田橋駅より徒歩約5分
東京大神宮の様子
ここで、東京大神宮の様子の一部を写真で紹介していきます。
東京大神宮の御朱印
東京大神宮では、御朱印を頂くことができます。
靖國神社とは?
靖國神社(靖国神社)とは、江戸時代の幕末、長州藩で、1863年に結成された奇兵隊士の霊を弔うために、高杉晋作が招魂社造営を発議したことに始まる神社となります。1868年の戊辰戦争後に、官軍将校の招魂祭を江戸城で行うとともに、京都東山では官軍の戦死者を祀りました。
これを機に、幕末、明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが全国的に活発になり、日本陸軍の創始者である大村益次郎が明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策しました。明治天皇は1869年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀しました。その後1879年には、軍直轄であった「東京招魂社」は、「靖國神社」に改名されました。
靖國神社は当初、「鎮魂」を目的としていましたが、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦を経て、「慰霊」から「顕彰」へと変化していきました。特に、第2次世界大戦中、日本兵が戦友との別れの際に「靖国での再会」を誓ったことから、靖国神社は日本兵の「心のより所」となり、軍国主義化の中で、第2次世界大戦の戦死者は「英霊」として祀られました。
なお、靖国神社に祀られる「神」は、戦死、戦傷病死をした軍人、軍属とそれに準じる人々であり、新たな戦死者が出るたびに「祭神」に加える合祀の手続きが取られることになっています。靖国神社の資料によると、合祀者の総数は246万人強となっています。
靖國神社のアクセス
靖國神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- JR中央・総武線 飯田橋駅(西口)より徒歩約10分
- JR中央・総武線 市ヶ谷駅 より徒歩約10分
- 東西線/半蔵門線/都営新宿線 九段下駅(出口1)より徒歩約5分
- 有楽町線/南北線/都営新宿線 市ヶ谷駅(A4出口)より徒歩約10分
- 東西線/有楽町線/南北線 飯田橋駅(A2出口、A5出口)より徒歩約10分
靖國神社の様子
ここで、靖國神社の様子の一部を写真で紹介していきます。
第一鳥居(大鳥居)
慰霊の庭(さくら陶板)
慰霊の泉
田中支隊忠魂碑
常陸丸殉難記念碑
出征を見送る家族の像
大村益次郎銅像
第二鳥居
大手水舎
神門
斎館・社務所
能楽堂
参集殿
中門鳥居
参集殿
拝殿
遊就館
戦没馬慰霊像
軍犬慰霊像
靖國海防艦
母の像
パール博士顕彰碑
靖國会館
到着殿
神池庭園
靖國神社の桜
靖國神社の御朱印
靖國神社では、御朱印を頂くことができます。
おまけ(江戸歴史散歩コーナー)
靖国神社を訪れる際、東京メトロ南北線市ヶ谷駅改札階(地下3階)の改札内コンコースにある無料で見れる「江戸歴史散歩コーナー」にも立ち寄りました。
「江戸歴史散歩コーナー」とは、1989年から1995年にかけて南北線建設に伴う発掘調査で発見された江戸城の遺構を紹介するコーナーになります。発掘時の写真や図面、古地図などがパネル展示されています。
コメント