MENU

神奈川県 小田原 巡り 〜 小田原城 ・報徳二宮神社 〜

当ページのリンクには広告が含まれています。

神奈川県の小田原にある「小田原城」「報徳二宮神社」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。


目次

小田原城とは?

小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台に築いた山城になります。城の規模や築城年は、明確になっていませんが、15世紀の中頃に造られたと言われています。その後、15世紀末、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備され、豊臣秀吉の来攻に備え、城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。

1590年、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。北条氏滅亡後は、徳川家康に従い小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却され、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。1686年、再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。

1870年に小田原城は、廃城となり、1872年までに城内の多くの建物は解体されました。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、1901年には、二の丸に御用邸が建てられました。しかし、1923年、関東大震災で御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。
その後、1934年に隅櫓が再建され、1960年には、天守閣が復興されました。

小田原城

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

はじめまして。簡単に私の経歴を紹介させて頂きます。
私は、長野県出身で、大学入学までは、長野県で生活をしてきました。
その後、某都内大学の経営システム工学科を(成績上位で)卒業し、上場企業の某大手SIer企業に就職しました。
現在は、都内で生活をしています。今までの経験をもとに、皆様のためになる情報を提供できるよう頑張ります。
また、現在、ITパスポート試験、基本情報技術者試験、応用情報技術者試験、PMPを保有しております。高度情報技術者試験については、挑戦する予定です。情報処理技術者試験を始め、IT知識に関した、皆様のためになる情報を提供できるよう頑張ります。

コメント

コメントする

目次