東京都の板橋にある「氷川町氷川神社」「加賀公園」「漆坊弁財天」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。
氷川町氷川神社とは?
1260年頃、氷川町氷川神社あたりの領主であった豊島左衛門尉経泰が、今の埼玉県大宮市の氷川神社から御祭神の素盞男命、稲田姫命の二柱の御分靈を奉じて、神社をつくり代々おまつりしていました。 豊島氏の没落後は、土地の住民が中仙道の親宿である板橋宿の鎮守様として尊崇していましたが、明治22年、火災の為、資料や証拠となる文献がなくなりました。氷川町氷川神社は、明治23年に再建されましたが、昭和25年5月戦禍で全焼しました。昭和29年御造営奉賛会が結成され昭和33年9月に現存する鉄筋コンクリート、流れ造りの御社殿が竣工しました。
氷川町氷川神社のアクセス
氷川町氷川神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 都営三田線 板橋区役所駅 徒歩約7分
- 都営三田線 板橋本町駅 徒歩約7分
氷川町氷川神社の様子
ここで、氷川町氷川神社の様子の一部を写真で紹介していきます。
加賀公園とは?
現在の加賀公園あたり一帯は、かつて加賀前田藩の下屋敷跡でした。その後、徳川幕府崩壊とともに明治政府に上地されました。加賀公園は、屋敷内庭園にあった築山の跡になります。明治から終戦までは、この地に火薬を製造する板橋火薬製造所(東京第二陸軍造兵廠板橋製造所)がありました。
加賀公園のアクセス
加賀公園への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 都営三田線 板橋区役所前駅 徒歩約10分
加賀公園の様子
ここで、加賀公園の様子の一部を写真で紹介していきます。
圧磨機圧輪記念碑
幕末まで、手工業的生産をしていた火薬生産の近代化を図るため、1865年沢太郎左衛門が幕命を受け、オランダに留学し火薬の製法を学びました。この圧磨機圧輪は、ベルギーより購入し帰国の際持ち帰ったものになります。旧加賀下屋敷のうち約3万坪の敷地を火薬製造所として用い、明治9年8月より同39年11月有煙火薬の製造を廃する日まで昼夜運行されました。
圧磨機圧輪記念碑は、実際に石神井川の水を利用して火薬製造に使用されていた物で、1922年に陸軍省が設置したものになります。
加賀1丁目みどりばし緑地
漆坊弁財天とは?
「漆坊弁財天」は、加賀藩前田家下屋敷跡内に祀っています。現在では、板橋4丁目にある交差点のロータリー状の中央にあり「漆坊弁財天」として、個人によって再興された神社になります。
漆坊弁財天のアクセス
漆坊弁財天への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 都営三田線 板橋区役所前駅 徒歩約8分
漆坊弁財天の様子
ここで、漆坊弁財天の様子の一部を写真で紹介していきます。
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