東京都の池袋にある2つの神社「池袋御嶽神社」と「池袋水天宮」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。
池袋御嶽神社とは?
池袋御嶽神社は、池袋駅西口一帯の氏神様になります。創建年代は不詳で、倭健命の草薙の剣の話により古くより災難除・厄除・防火の神徳があると言われています。なお、近年では池袋の袋から苦労を除き(不苦労)福を呼ぶ神や、知恵の神様とも言われています。
御祭神として、「倭健命」・「神武天皇」・「武甕槌命」を祀ります。
池袋御嶽神社のアクセス
池袋御嶽神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 東京メトロ有楽町線 要町 徒歩約15分
- 東武東上本線 北池袋駅 徒歩約20分
- 各線 池袋駅 徒歩約10分
池袋御嶽神社の様子
ここで、池袋御嶽神社の様子の一部を写真で紹介していきます。
子育稲荷神社
池袋御嶽神社の境内にある子育稲荷神社では、子育て、子授け、安産のご利益があると言われている神社になります。
稲荷神社
池袋御嶽神社の近くにある「稲荷神社」にも立ち寄って見ました。
池袋水天宮とは?
池袋水天宮は、御祭神として「天御中主大神」、「安徳天皇」、「建礼門院」、「二位ノ尼」を祀ります。
1185年、日本は源氏と平氏の二つに分かれて戦いました。最後の決戦の場になった赤間関の沖合、壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官按察使の局が、源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠をたてお祀りしたのがはじめといわれています。さらに、天御中主大神を祀り、やがて平家の三方とこの神の四柱を祀るこの祠を「水天宮」と称されるようになりました。
1600年、有馬豊氏は、家康から筑後川沿岸を領有する久留米藩主を命ぜられました。2代目有馬忠頼は、このあたりの村人たちが厚く水天宮を敬うのを知ると、立派な新社殿を建て寄進しました。この水天宮は、筑後川のほとりにあったので、元来は名の水を司る神様で水天竜王と呼ばれるようになります。
有馬頼徳が藩主となると、参勤交代で江戸へ来ている間、郷里の天候が心配で、1818年、久留米の水天宮を江戸の藩邸内に分霊して祀り、筑後川の氾濫がなく、後刻が実るように祈願するようになりました。
明治維新により、藩邸が接収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、さらに1872年、現在の日本橋蛎殻町に御鎮座致しました。
そして、池袋水天宮は、1928年に、当時の池袋の有志の方々が池袋繁栄策の為に、日本橋蛎殻町の水天宮の御礼を頂いて来てお祀りしはじめました。その後、地主さんの都合で、数回移転を致し、終戦後現在の池袋駅前公園内に御社殿を創られました。2000年、豊島区の池袋駅前公園改築工事に伴い、老朽化の目立つ水天宮の御社の全面改築工事がされました。
池袋水天宮のアクセス
池袋水天宮への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 各線 池袋駅 徒歩約2分
池袋水天宮の様子
ここで、池袋水天宮の様子の一部を写真で紹介していきます。
おまけ(叙々苑)
「叙々苑」とは、焼肉店において、現在一般的に見られる食後の無料デザートの提供や、会計後に店員が渡す臭い消しのガムの無料サービスなどを業界で最初に始めた高級焼肉チェーン店になります。
六本木が創業の地ということもあり、芸能人や著名人、芸能関係者が叙々苑の味を気に入り行きつけの焼肉店としてきました。そのため、芸能関係者により叙々苑の名前がテレビ・ラジオ番組などで語られ知名度が上がり、日本全国で有名な憧れな高級焼肉チェーン店になりました。
叙々苑 (池袋東口駅前店)のアクセス
叙々苑 池袋東口駅前店への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 各線 池袋駅 徒歩約2分
叙々苑 (池袋東口駅前店)の様子
ここで、叙々苑 (池袋東口駅前店)の様子の一部を写真で紹介していきます。
おまけ②(ホテルメトロポリタン)
ホテルメトロポリタン(Hotel Metropolitan)は、東京都池袋にあるシティホテルになります。JR東日本グループのホテルチェーン「JR東日本ホテルズ」のシティホテルブランドである「メトロポリタンホテルズ」の旗艦拠点でもあります。
ホテルメトロポリタンのアクセス
ホテルメトロポリタンへの(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- 各線 池袋駅 徒歩約3分
ホテルメトロポリタンの様子
ここで、ホテルメトロポリタンの様子の一部を写真で紹介していきます。
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