東京都の上野公園内にある「不忍弁天堂」「清水観音堂」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。なお、今回のサイトは前回の続きになります。以下サイトも参照して見て下さい!!!!
不忍弁天堂とは?
不忍池辯天堂は、江戸初期に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって建立されました。天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味すると言われています。
天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守勝隆公と相談し、島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺」に見立てたお堂を建立しました。琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であるため、当初はお堂に参詣する際も船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。なお、昭和20年の空襲で、一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33年に復興しました。
不忍弁天堂のアクセス
不忍弁天堂へのアクセスについては、以下の通りになります。
- JR線 上野 徒歩約5分
- 東京メトロ銀座線・東京メトロ日比谷線 上野 徒歩約5分
- 京成本線 京成上野 徒歩約1分
不忍弁天堂の様子
ここで、不忍弁天堂の様子の一部を写真で紹介していきます。
不忍弁天堂の御朱印
不忍弁天堂では、御朱印を頂くことができます。
清水観音堂とは?
清水観音堂は、1631年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって建立されました。天海大僧正は、1625年に、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって「東叡山寛永寺」を開いたと言われています。
これは、比叡山が京都御所の鬼門を守るという思想を江戸に導入することを意味し、江戸城の鬼門の守りを意図しました。比叡山や京都の有名寺院になぞらえ、堂舎を建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺を見立てたお堂になります。
清水観音堂は、京都の清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が天海大僧正に奉納されたことにちなみ、清水寺と同じ舞台作りで、初めは上野公園内の「擂鉢山」に建てられました。しかし、元禄初期、今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まると、その工事に伴い1694年9月に現在地に移築されました。
清水観音堂のアクセス
清水観音堂へのアクセスについては、以下の通りになります。
- JR線 上野 徒歩約5分
- 東京メトロ銀座線・東京メトロ日比谷線 上野 徒歩約5分
- 京成本線 京成上野 徒歩約1分
清水観音堂の様子
ここで、清水観音堂の様子の一部を写真で紹介していきます。
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