京都にある「伏見稲荷大社」観光に行きました。夏の暑い時期でしたが、夜間の稲荷山の山頂に登ってみました。(夏の昼間であれば暑くて登れなかったかもです・・・夜間で少し気温が下がっていたので、山頂まで登ることができたかもしれません・・・)夜間でもありますが、灯りがあったり、歩道が整備されることから迷わず登ることができました。道中で京都を一望できる夜景が見えとても綺麗でした。その時の様子を写真で紹介していきます。ぜひ、最後までお読みいただければ幸いです。
伏見稲荷大社とは?
伏見稲荷大社とは、京都府京都市伏見区に位置する神社であり、全国の稲荷神社の総本宮になります。 稲荷信仰は、奈良時代に東山三十六峰の最南端にあたる稲荷山に、稲荷大神様が御鎮座されたことより始まった信仰になります。現在では全国に約3万社あると言われる稲荷神社の総本社になります。
伏見稲荷大社は、五穀豊穣を司る稲荷神が祀られており、商売繁盛、家内安全、諸願成就など、さまざまなご利益があると言われております。なお、初詣では約250万人、年間では約1,000万人もの人々が参拝に訪れます。 なお、稲荷塗と呼ばれる朱で彩色された千本鳥居が有名です。境内にある稲荷造りの本殿は、神社建築と寺院建築の特徴を併せ持つ珍しい建築様式で造成されています。
稲荷山とは?
稲荷山は、神が宿るとされる神体山になります。東山三十六峰の最南端に位置し、標高233mです。3つの峰(一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰)が連なりますが、かつては古墳で、それぞれに円墳が確認されています。三ノ峰からは二神二獣鏡が出土しています。山中には、おびただしいお塚が群在し、参道には数千もの朱の鳥居が建ち並んでいます。なお、稲荷山に登り、これらの神蹟やお塚を巡拝することを「お山する」と呼ばれています。
伏見稲荷大社・稲荷山へのアクセス
伏見稲荷大社・稲荷山への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。
- JR奈良線 稲荷駅下車 徒歩直ぐ
- 京阪本線 伏見稲荷駅下車 徒歩約5分
- 市バス 南5系統 稲荷大社前下車 徒歩約7分
伏見稲荷大社・稲荷山の様子
夜の伏見稲荷大社・稲荷山の様子を写真を交えて紹介していきます。
楼門
桜門は、天正17年(1589年)豊臣秀吉により、造営されました。豊臣秀吉の母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加すると記した「命乞いの願文」が伝来してます。なお、神社の楼門の規模としては最も大きいものになります。
本殿
本殿は、応仁2年(1468)の兵火により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡しました。そして、仮殿の復興があり、その後、明応8年(1499)に再興されました。主祭神である宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦大神を北座の中社、大宮能売大神を南座の上社に祀り、その両側には摂社の田中大神と四大神が奉祀されています。これら5つの柱の祭神名は、稲荷大神の広大な神徳の神名化とされています。
千本鳥居
「赤い鳥居」といえば、「おいなりさん」を連想する人もいるかもしれません。元来、稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」と呼ばれ、朱(あけ)をもって彩色するのが慣習となっています。
この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもっています。また、その色は、生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の「みたま」の働きとする強烈な信仰が宿っています。崇敬者が祈りと感謝の念を奥社参道に鳥居の奉納をもって表す信仰は、江戸時代に興り「千本鳥居」を形作っています。
奥社奉拝所
奥社奉拝所は、お山を遥拝するところで、稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。寛政6年の罹災後、規模を幾分大きくして造営されたのが現在の社殿になります。昭和50年に社殿を後方の今の位置に移し、前に拝所が設けられました。
御劔社 釼石(長者社神蹟)
この神蹟は、山上古図に釼石と記されています。稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。
一ノ峰(上社神蹟)
稲荷山の最高峰(標高233メートル)になります。末広大神と崇める信仰もあります。
二ノ峰(中社神蹟)
青木大神としても、崇められています。
間ノ峰(荷田社神蹟)
伊勢大神としても、崇められています。
三ノ峰(下社神蹟)
白菊大神としても、崇められています。
稲荷山の参道
上記で紹介できなかったその他、夜の稲荷山の参道での様子を写真で紹介していきます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は、夜の伏見稲荷大社を紹介してきました。京都では、夜まで空いている寺院や施設が少ない中、伏見稲荷は24時間空いています。(お茶屋さんなどは閉まっていますが、自動販売機はありました。)私も昼間、京都で観光した後、19時頃伏見稲荷大社に行きました。とても幻想的でした。稲荷山の山道から見える京都の夜景もとても綺麗でした。
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