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長野県上田巡り 〜上田城(眞田神社)・松茸小屋〜

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長野県の上田市にある上田城(真田神社)と秋の味覚松茸小屋へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。

目次

上田城とは?

「上田城」は、大河ドラマ「真田丸」、映画「サマーウォーズ」でもお馴染みですが、天正11年(1583年)真田昌幸によって築城された城になります。また、第一次・第二次、上田合戦で、徳川軍を二度撃退した難攻不落の城でもあります。

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真田昌幸が、上田城を築き始めたのは、1583年になります。当時は、更埴地方までが越後の上杉景勝、佐久郡までが関東の徳川家康の勢力下でした。真田昌幸は、徳川家康に臣属していたため、家康の援助を受けて上田城の築城を始めます。

徳川家康は、豊臣秀吉に対して、背後の守りを固めるため、小田原の北条氏直と手を組もうとし、上州沼田領を北条方に譲るように、徳川家康は真田昌幸へ命じました。しかし、真田昌幸はこれを拒絶します。これにより、徳川家康と断交した真田昌幸は、徳川軍の攻撃に備え、次男・真田幸村を上杉方に人質として差し出し、上杉景勝に築城とその他の援助を求めるようになります。

1585年8月、徳川軍が7,000人余の大軍で、上田城を攻撃します。(これが第一次上田合戦となります。)しかし、真田昌幸は巧みな戦略を用いて、わずか2,000人足らずで撃退します。そして、1585年の9月に、上田城は、完成をします。(徳川と上杉から、援助を受け、上田城はわずか約2年半で完成しました。)

1600年、関ケ原の戦いが起こります。豊臣秀吉没後の覇権を、徳川家康と石田三成が争った戦いで、真田昌幸と次男の真田幸村は石田方に、長男の真田信之は徳川方に別れて戦うことになります。

石田方についた真田昌幸と真田幸村は、上田城に立てこもり、東山道を西上する徳川秀忠軍3万8000人に対して、わずか2500人で籠城戦を行います。(これが第二次上田合戦となります。)徳川秀忠軍は、この戦いにより、7日間上田に釘づけとなり、関ケ原での石田三成との決戦に間に合わず、家康の激怒をかうことになりました。しかし、関ケ原の戦いは、石田方の敗北に終わり、真田昌幸と真田幸村は、九度山(和歌山県)に幽閉されます。

そして、徳川方に接収された上田城は一度破壊されます。堀を埋めて、塀を壊し、櫓などの建物も壊され、廃城となりました。その後、上田領を家康から与えられた長男の真田信之が引き継ぐことになります。また、真田信之は廃城となった城の中心部を避けて、現在の上田高校の位置に屋敷をかまえて藩政を行います。この屋敷は、後に上田藩主となる仙石氏、松平氏も引き続き藩主邸とします。

こうして、廃城となっていた上田城は、1622年に幕命により、真田信之が松代へ領地替えとなり、仙石忠政が小諸から新領主として上田に入ります。そして、幕府の許可を得て、1626年より上田城の復興に取り掛かります。仙石忠政は、埋め立てられていた堀を再び堀り上げ、石垣を積み、櫓を再建します。そして、本丸の土居(土塁)や石垣の上に櫓と塀ができて、明治維新まで続く上田城の姿が復興されます。その後、1706年に上田城主は、仙石氏から松平氏へと交代し、明治維新までの160年余の間、松平氏が治めるようになります。

明治維新後の明治4~6年までは、上田城は陸軍の東京鎮台第二分営となりますが、その後廃止され、明治8年に上田城は、本丸・二の丸の土地・建物・樹木まで一切の払い下げが許可されます。こうして、現在も残る西櫓1棟を残して、他の櫓は払い下げられてしまいます。

その後、明治12年に本丸内に松平神社(現・真田神社)をつくり、残りの地を公園として城址を保存しようという声が起こります。これにより、本丸の大部分を所有していた丸山平八郎氏が、南側の地を神社用に、明治18年に残りの地を公園用に寄付します。これが、上田城の公園化への第一歩になります。

二の丸については、大部分が桑畑になっていましたが、明治18年に東側の現市立博物館のあたりに、高い土塀をめぐらした監獄ができます。その後、大正12年には、現市民会館の地に上田市公会堂が建設されました。大正13年から昭和3年にかけて、上田市により二の丸の地の買い上げが進められ、監獄も移転しました。

昭和2年には、二の丸の堀だったところに真田方面行きの電車の線路が敷設されました。これらと並行して児童遊園地、テニスコート、野球場、陸上競技場などの設置も進められます。昭和25年には二の丸の児童遊園地に、動物園が作られました。昭和40年代までは、堀でスケートを楽しむことができ、魚釣り大会も開催されました。

このように、廃城となった上田城は史跡公園として整備され、市民の憩いの場として生まれ変わりました。なお、平成6年3月には、上田城跡の本丸に待望の櫓門が、約110年ぶりに復元されました。

上田城へのアクセス

上田市は、東京から北陸新幹線で約90分で行くことが出来ます。(新幹線上田駅がございます。)そこから、上田城へは上田駅から、徒歩で約12分で着くことが出来ます。

上田城の様子

春は千本櫻、秋は紅葉、四季それぞれ見所がございます。今回、私が巡った際は、夏と秋の中間(紅葉ではない)ですが、美しい上田城を見ることが出来ました。

眞田神社とは?

上田城本丸跡に鎮座する真田神社を紹介します。眞田神社では、真田氏、仙石氏、松平氏など歴代の上田城主を御祭神としています。その真田神社で、御朱印帳と御朱印を入手しました。(とってもカッコいい御朱印帳だと思います!!)

松茸小屋(丸光圀)

最後に、上田といえば、秋の味覚(松茸)を食せる松茸小屋がございます。(松茸小屋は、最近、テレビでも紹介されていますよね。)なお、今回、訪れた松茸小屋は「丸光圀」さんです。「丸光圀」さんでは、国産の松茸が5000円からのコースでいただけます。ちなみに、私は8800円の松茸三昧コースを頂きました。松茸のすき焼き、松茸の土瓶蒸し、松茸の天ぷら、松茸の銀むし、松茸ご飯(食べ放題)、松茸汁(飲み放題)などなど、とても贅沢に松茸をいただけます。美味しく秋の味覚を頂きました。(東京では8800円では、こんなにもの松茸をいただくことは出来ないですよね。)

松茸小屋(丸光圀)へのアクセス

「丸光圀」さんのアクセスですが、上田駅から車で約25分程度かかります。

なお、今回ご紹介した「丸光圀」さんのコース料金、予約方法、アクセスについてなど詳細は、こちらを参照ください。

最後まで、閲覧いただきありがとうございました。本サイト内、あなたにとって有益な情報が有るかもしれません。宜しければ、他のページも参照いただけると嬉しいです。

真田神社

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