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東京都 吉原 巡り 〜 吉原神社・鷲神社〜

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東京都の吉原の近くにある「吉原神社」「鷲神社」「吉原大門」「見返り柳」へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。

目次

吉原神社とは?

吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社になります。五つの稲荷神社は、玄徳稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、榎本稲荷社、九郎助稲荷社の五社であり、倉稲魂命を御祭神としています。また、吉原弁財天の御祭神は、市杵島姫命で、吉原神社にもお祀りされています。

吉原神社は、吉原遊郭とともに歩んできた神社になります。吉原遊郭は1617年、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が、江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことが始まりです。この地には、葦(よし)が生い茂っていたことから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。後に、吉原が江戸の中心地になったため、1655年に現在地である千束村へ移転となりました。

吉原には、廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門の手前に「玄徳稲荷社」、廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。その後、明治5年には、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。

当初吉原神社は、玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失しました。震災後は、水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、その際、新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀しました。その後、昭和20年の東京大空襲で焼失するが、昭和43年に現社殿が造営され現在に至ります。


吉原神社のアクセス

吉原神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。

  • 東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅 徒歩約15分
  • 東京メトロ日比谷線 入谷駅 徒歩約18分

吉原神社の様子

ここで、吉原神社の様子の一部を写真で紹介していきます。

お穴様

 地中の神様で神社の土地をお守りしています。心を込めてお参りすると必ず福が得られると伝えられています。

吉原神社の御朱印

吉原神社では、御朱印を頂くことができます。

鷲神社とは?

鷲神社は、酉の祭、酉の市で知られ、寿老人をお祀りしています。江戸下町を代表する神社で、開運、商売繁昌、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いとされています。また、「おとりさま」と称され、古くから江戸下町の民衆に篤く尊信されてきました。

鷲神社のアクセス

鷲神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。

  • 東京メトロ 日比谷線 入谷駅 徒歩約7分
  • 東京メトロ 銀座線 田原町駅 徒歩約15分
  • JR 鶯谷駅 徒歩20分

鷲神社の様子

ここで、鷲神社の様子の一部を写真で紹介していきます。

鷲神社の御朱印

鷲神社では、御朱印を頂くことができます。

吉原大門とは?

吉原大門とは、吉原遊郭の正面玄関になります。現在では、交差点で名前が残っています。吉原への出入り口は、吉原大門ひとつだけでした。それは、治安の為だけでなく、遊女の逃亡を防ぐ事が目的だったと言われています。現在では、面影がほとんど見られませんが、周りには「お歯黒どぶ」という3.6mの堀が巡られていました。

見返り柳とは?

見返り柳とは、吉原遊郭の名所の一つであり、吉原遊郭で遊び帰りの客が、遊女の後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで振り返ったことからその名がつけられました。かつては、山谷堀脇の土手にありましたが、区画整理に伴い現在地に移され、今ある柳も数世代に渡り植え替えられています。

吉原大門・見返り柳のアクセス

亀戸天神社への(電車での)アクセスについては、以下の通りになります。

  • 東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅 徒歩約10分
  • 東京メトロ日比谷線 南千住駅 徒歩約7分
吉原神社

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