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長野県 佐久市巡り〜 渋沢栄一の『内山峡之詩』碑〜

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長野県の佐久市にある渋沢栄一の『内山峡之詩』碑へ行ってきました。その時の様子を共有させて頂きます。

目次

渋沢栄一とは?

渋沢 栄一(1840年3月16日- 1931年11月11日)は、明治・大正期の実業家、財界の指導者になります。雅号は、青淵です。なお、2024年度上半期に、新紙幣の表の図柄が一新し、1万円札は渋沢栄一になります。1万円札の人物の変更は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来です。

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渋沢 栄一は、江戸時代末期に農民から武士に取り立てられ、のちに主君・徳川慶喜の将軍就任にともない幕臣となり、明治政府では官僚も務めました。民部省で造幣、戸籍、出納など様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となります。

退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わりました。そのうち企業は約500社[にもおよび、「日本資本主義の父」と称されます。

渋沢栄一と佐久

1929年、渋沢栄一89歳の時、地元新聞紙記者の問いかけに『私の第二の心のふるさとは、信州佐久、上田だよ』と渋沢栄一は答えています。それを裏付けるかのように、佐久の古老たちは昔話の中で、幼い渋沢とチャンバラごっこ(佐久の方言で子供たちの刀の斬り合い遊び)をした。という口碑を伝え残しています。

渋沢栄一と内山峡之詩碑

渋沢栄一は、2021年2月から放映されるNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公になります。ドラマタイトル『青天を衝け』は、佐久市にある渋沢栄一の『内山峡之詩』碑の一節から引用がされています。

阿夫利神社の横の岩肌に、『青天を衝け』の由来となった漢詩が刻まれた詩碑があります。この漢詩は渋沢が19歳のころに詠んだものとされ、全文およそ260字です。なお、この詩碑は1940年に地元有志により建てられました。

渋沢栄一と内山峡之詩碑へのアクセス

国道254号沿いコスモス街道の先の佐久市内山地区に内山峡之詩碑があります。

渋沢栄一の『内山峡之詩』碑の様子

ここで、渋沢栄一の『内山峡之詩』碑の周辺の様子の一部を写真で紹介していきます。訪れた時は、付近での落石の影響により、立入禁止となっていました。残念。。。。

内山峡之詩の漢詩全文

渋沢青淵先生内山峡之詩
   襄山蜿蜒如波浪西接信山相送
   迎奇険就中内山峡天然崔嵬如
   刓成刀陰耕夫青淵子販鬻向信
   取路程小春初八好風景蒼松紅
   楓草鞋軽三尺腰刀渉桟道一巻
   肩書攀崢嶸渉攀益深険弥酷奇
   巌怪石磊磊横勢衝青天攘臂躋
   気穿白雲唾手征日亭未牌達絶
   頂四望風色十分晴遠近細弁濃
   与淡幾青幾紅更渺茫始知壮観
   存奇険探尽真趣游子行恍惚此
   時覚有得慨然拍掌歎一声君不
   見遁世清心士吐気呑露求蓬瀛
   又不見汲汲名利客朝奔暮走趁
   浮栄不識中間存大道徒将一隅
   誤終生大道由来随処在天下万
   事成於誠父子惟親君臣義友敬
   相待弟与兄彼輩著眼不到此可
   憐自甘払人情篇成長吟澗谷応
   風捲落葉満山鳴
   昭和十五年十一月廿四日建之

木内敬篤 謹書

澁澤青淵先生内山峡之詩

襄山蜿蜒として波浪の如く 西は信山に接して相送迎す
→高い山は蛇のように曲がりくねり波の様である 西は信州の山に接して互いに送迎してくれる
奇険は就中内山峡 天然の崔嵬けずり成すが如し
→とりわけ珍しく険しいのは内山の峡 天然の高く険しい山は、えぐられてできたようだ
刀陰の耕夫青渕子 販鬻信に向ひて路程を取る
→刀の陰で田畑を耕す私、青淵子 商いのため、信州に向かって行程をとる
小春初八好風景 蒼松紅楓草鞋は軽し
→小春の八日、よい風景である 蒼い松、紅の楓、草鞋の足取りは軽く
三尺の腰刀桟道を渉り 一巻の肩書崢こうを攀づ
→三尺の刀を腰に差し、桟道を渉っていく 一巻の書を背負い、険しい山道をよじ登る
渉攀益々深くして険弥々酷しく
→歩き回ること、ますます深くして、険しさはいよいよ過酷となる
奇巌怪石磊々として横はる
→奇妙な形をした珍しい岩々が数多く横たわっている
勢は青天を衝き臂を攘て躋り
→勢いは青天を突き刺すようで、うでまくりして登り
気は白雲を穿ち手に唾して征く
→気持ちは白雲を貫き通すようで、手に唾をして行く
日亭未牌絶頂に達し 四望の風色十分に晴る
→日は末牌にいたり、頂上に達すれば 四方に望む風景は十分に晴れている
遠近細辧す濃と淡と 幾青幾紅更に渺茫たり
→遠近が細やかに区別できる、濃淡によってである 幾つもの青、幾つもの紅、さらに果てしなく広い
始めて知りぬ壮観は奇険に存するを 真趣を探り尽くして遊子行く慨然として掌を拍って歎ずること一聲
→初めて知った、壮観が珍しく険しいところにあることを 真の趣を探りつくす、旅人は行く心を奮い立たせ手のひらをたたいて感嘆の一声を上げる
君見ずや遁世清心の士 気を吐き露を呑みて蓬瀛を求むるを
→君は見ないのだろうか煩わしい世間を離れて暮らす清心の士が 気を吐き、露を呑み、神仙が住むという蓬瀛の山を求めるのを
又見ずや名利に汲々たるの客 朝に弄り暮に走りて浮栄を趁ふを
→また見ないだろうか、あくせくして名誉や利益を求める客が 朝に向かって夕暮れに走って、はかない栄華を追うのを
識らず中間に大道の存するを 徒らに一隅を将って終生を誤つ
→極端ではない所に人の行う正しい道があることを知らずに むなしく社会の片隅で人生をやりそこなう
大道は由来随所に在り 天下万事誠に成る
→人の行う正しい道は、もともと至る所にある 天下のすべてのことは、誠からなる
父子は惟親君臣は義 友敬相待つ弟と兄と
→父子の関係は親であり、君臣の関係は義である 愛情と敬意を、互いに持つ弟と兄とは
彼の輩着眼は此に到らず 憐れむべし自ら甘んじて人情を払うを
→かの輩の着眼はここまで達していない 憐れむべきことだ、自ら人情に払いのけるのを甘んじて受け入れることは
篇成りて長吟すれば澗谷応へ 風は落葉を捲いて満山鳴る
→詩が完成し、長き吟じれば谷がそれに応じる 風は落ち葉を巻き上げて、山全体が鳴り響く


  昭和十五年十一月廿四日建立

木内敬篤 謹書

阿夫利神社

渋沢栄一

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