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広島県 広島 巡り 〜 平和大通り(Peace Boulevard)〜

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広島に旅行で訪れました。ここでは、「平和大通り」とその沿線(周辺)を訪れましたので、その時の様子を紹介します。なお、今回のサイトは前回の続きになります。以下サイトも参照して見て下さい!!!!

目次

平和大通り(Peace Boulevard)とは?

「平和大通り」とは、広島県の広島市中心部を東西に横断する約4kmの通りであり、原爆ドームと慰霊碑を縦軸に、シンメトリックな構図を描く平和記念公園の南に接し、デルタの町を東西に貫いています。総延長は3.6キロメートル、幅は100mになります。そのため、別名「100m道路」ともよばれています。

命名は1951年であり、1965年、5月にやっと全通しました。廃墟の町に緑をという市民の献木運動や世界各地からの寄贈もありました。そこで、国際平和文化都市、メッセ・コンベンション・シティにふさわしい公園道路が出来上がりました。

Peace Boulevard is one of the main streets in Hiroshima, Japan, which faces the south side of Hiroshima Peace Memorial Park.The street is 100m (330 ft) wide and runs 3.6 km (2.2 miles) from east to west, between Tsurumi-cho and Fukushima-cho within the green belt.There are 5 bridges connecting to the street including the west and east Peace Bridges by Isamu Noguchi.

平和大通りのアクセス

広島電鉄や広島バスなどが利用できます。

平和大通り(周辺)の様子

白神社

白神社の御際神は、菊理姫神・伊邪那伎神・伊邪那美神・天照皇大神等を祀り、古来、現在の社殿の建つ岩上を祠を祀り、白い御幣を捧げ神々を祭っていました。毛利輝元公の時、広島城築城に先駆け、大きな社殿が建立され、「白神大明神」と称しました。1945年8月6日原子力爆弾が上空にて炸裂し、社殿・大鳥居等悉く消失しました。なお、1945年以前の石造物、狛犬・常夜灯は、広島原爆遺跡に指定されています。現在の社殿は1989年に再建されたものになります。

旧国泰寺愛宕池

広島第一県女原爆犠牲者追憶之碑

移動演劇さくら隊原爆殉難碑

奥ノ院形石燈籠

春日大社奥ノ院の燈籠を模作したもので、側面に唐獅子を彫刻したところに特色があります。また、独創的に龍の彫刻を加えています。

道標形石燈籠

江戸時代に造られた一つの形で、火袋が輪のような形になっていうところから、「知恵の輪」とも呼ばれています。笠がないのが特色で海岸に建てて、燈台として使用されたものだと言われています。

濡鷺形石燈籠

鷺が一本足で立っている姿を連想して造られた形として伝えられる燈籠で、大きな半円形の笠が独特な雰囲気を出しています。 

江戸形石燈籠

江戸時代に造られました。竿が丸みのある六角となっていて、宝珠が全体のつり合いからみて、大きなところに特色があります。

西ノ屋形石燈籠

春日大社、西ノ屋前に並んでいる四角形石燈籠を模作したもので、宝珠以外はすべて四角形で、八角形に比べ簡素です。

広島市医師会原爆殉職碑

この原爆殉職碑は、原爆によって殉職した医師や看護師などの医療従事者や、自ら被災しながも医療救護活動に従事し、後に放射線障害によって亡くなられた方々の慰霊で、1960年に建立されました。

櫓形石燈籠

江戸時代に造られた一つの形で、火袋は燈台の役目を兼ねさせるため、火袋の四方が開けられています。この4本の足は一枚石から造られたものです。

勧修寺形石燈籠

京都市山科、勧修寺の四角形石燈籠(江戸時代)を模作したもので、火袋は扁平で大きく、横長の火口に特色があり、竿の単調さを避けるため、中央に空洞を開けています。

高麗形石燈籠

新羅時代に造られた形で、京都・華厳寺の石燈籠を模作したものです。

旧日本銀行広島支店

旧広島支店の建物は、古典様式の優れた外観を有する広島の昭和初期を代表する希少な歴史的建築物になります。また、1945年8月6日に、爆心地からわずか380mという近距離で被爆しながらも、その堅牢性から建設当時の姿を現在もほぼ残しています。

被爆時は、1階と2階はよろい戸を閉じていたため、内部の大破を免れましたが、3階は開けていたため全焼しました。また、被爆当日は、食堂などが負傷者の収容所となりました。そして、翌々日の8日に、早くも銀行の支払い業務が開始されるとともに、被災して営業が不可能となった市内金融機関の仮営業所が設置され、金融面から広島の復興を支えた史実を伝える貴重な被爆建物になります。

1992年3月に、広島支店が中区基町に移転し、旧広島支店は銀行としての役割を終えましたが、1993年6月に、「旧日本銀行広島支店」として被爆建物台帳に登録され、2000年7月に、広島市の重要有形文化財に指定され、現在一般公開もされています。

おまけ

広島旅行として、宮島(厳島)にも訪れています。ぜひ下記リンク先の解説サイトを参照して見て下さい!!!!

白神社

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